今って何枚でもリブログできるんで気に入ったものは全部リブログしてますけど
昔はそれができなかったんで、
何をリブログするかよりも何をリブログしないかの方が重要な感じで。
リブログに制限があるのってフラストレーションすごく溜まるんだけど
仮にtumblrがサービスじゃなくてゲームだとしたら、
「いかに素敵なコレクションを作るのか」ゲームになってくるけど
その中では枚数制限があった方が絶対ゲームとしては面白いと思います。"
— tumblrを始めた頃と最近では、何がいちばん変化した点だと思いますか? - gkojaxインタビュー (via mitukiii)
(via katoyuu)
— 声優業界の“パワハラ”事情(前編) (via nagas) (via hisaruki) (via otsune) (via bbk0524) (via petapeta) (via nashi-kyo) (via daizydaizy)
— 安原製作所のLED付き5倍マクロレンズ「NANOHA」(なのは)を試す - デジカメWatch (via hepton-rk)
(via fujihajime)
— Twitter / @igi (via rpm99)
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●セカイ系の誰よりきっと●
宇野常寛:文筆家(2008/08/13)
で、今回の話題は秋葉原連続殺傷事件について、だ。この事件のポイントはずばり犯人・加藤の「凡庸さ」だ。加藤はいわゆる「もう救いのないようなコミュニケーション不全症候群」でもなければ、自意識をこじらせるだけこじらせてしまった「末期症状」患者でもない。ワイドショーがオタク犯罪に仕立てあげたくても無理が出るくらい「オタク」と呼ぶにもウスい。
要は、加藤は「どこにでもいる、不器用な奴」なのであって、この事件が「怖い」のは、加藤くらい不器用な人間は今の日本社会にごまんといて、その程度の人間がここまで煮詰まってしまう、という現実なのだ。格差?もちろんこれは深刻でなんとかしなきゃいけないが。でも本当にそれが加藤の暴走の原因だろうか。問題はもっと複雑で、根が深い。加藤くらいの「ちょっと不器用な奴」でもすぐに煮詰まってしまう世界に、今の日本社会はなってしまっているのだ。
じゃあ、どうすれば「煮詰まりにくい世の中」はできるのか。ヒントは加藤がモバイル掲示板に残した「彼女がいない、ただこの一点で人生崩壊」という走り書きにある。この一行はいろんな意味で象徴的だ。なんで「彼女がいない」から「人生崩壊」なのか。加藤は「彼女をつくる」くらいしか自己実現の方法を信じられず(なんてマッチョな発想だろう)、それが出来ないから絶望したのだ。なぜか? それは今の世の中は個人の生を公共性が意味づけないからだ。
たとえば「仕事」。(略)ほかにも「正しい国家のために」みたいな物語で自己正当化を図るとか(略)。じゃあ「彼女がいない、ただこの一点で人生崩壊」という加藤的な世界観をどう破壊するか。かわりに台頭しているのが、個人的な(ローカルな)人間関係をアイデンティティというフィクションを確保するというやり方だ。その中でも、「恋愛」は手っ取り早いものとして一番人気だ。だから滝本竜彦の小説の主人公たちみたいに、社会的自己実現は信じられないけど自分より弱いトラウマ少女を救う、みたいなストーリーは信じられる、みたいなマッチョ全開のセカイに突入しちゃうわけだ。そして、加藤もその類の人間である。
"— 宇野「彼女がいないから人生崩壊」こんな恋愛至上主義人間は、オタクの「萌え」では救えない (via pdl2h) (via starchart) (via otsune) (via oosawatechnica) (via yaruo) (via wingknights) (via arrjcc) (via ahhachan)


